映画「敵」 主人公に迫る衰え、見ていた私の感じた二つの恐怖 (ネタばれ)

 

2025年1月17日に公開された 吉田大八監督、原作筒井康隆、主演長塚京三


昨年の予告編から気になっていたのでこの週の日曜日に見に行きました。


元大学教授の老人の日常が淡々と描かれて、そしてそれが次第に変化していくさまが描かれている。


タイトルになっている敵とは何だったのだろうか。

それは老い、病、過去の後悔なのだろうか?


それは人それぞれの答えがでてくるだろうが、私はこの映画を見て2つのことに恐怖を抱いた。


①主人公が陥った現実と夢の交錯は別に 

2025年1月17日に公開された 吉田大八監督、原作筒井康隆、主演長塚京三




昨年の予告編から気になっていたのでこの週の日曜日に見に行きました。




元大学教授の老人の日常が淡々と描かれて、そしてそれが次第に変化していくさまが描かれている。




タイトルになっている敵とは何だったのだろうか。


それは老い、病、過去の後悔なのだろうか?




それは人それぞれの答えがでてくるだろうが、私はこの映画を見て2つのことに恐怖を抱いた。




①主人公が陥った現実と夢の交錯は別に老人になったからと起こるとは限らない。


②主人公のような状態に陥った人間がこの世界をまだ動かしていないだろうか?




映画の中で主人公の友人が病気になり、見舞いに訪れた際に友人に「逃げて・・・敵」と告げる。


それと様々な喪失がきっかけで主人公の妄想と現実が混濁していく。

友人はなぜ、敵と告げたのだろうか?

それは彼自身も病気・死によりのちの主人公と同じ状況に友人も陥っていたのではないだろうか?


友人は主人公よりも若い。

人は老いだけではなく、病気やケガなどによる喪失が混濁が誰にでもいつでも起きうるのではないかと思う。


日本は後期高齢者社会となり、世界の指導者も老人がいることも多くなっている。


なぜこの映画では敵という存在の描写の行きつく先がまるで戦争にようになっていったのだろうか?


年老いた指導者が次第に混濁してありもしない敵を生み出していないだろうか?



これは私個人の感想としては現実にも老いによる敵がまた別の形で現れはしないしないかと恐れるのであった。